著:クリス・ハルボム
昔々、フェニックスと呼ばれる遠い街に、車椅子に乗った一人の老人が住んでいました。
人は彼を「砂漠の魔法使い」1,2と呼びました。
この老人は、海のようにきらきらと輝く瞳をもち、小児麻痺を患った身体とともに生きていました。
昼も夜も身体の痛みにさいなまれながら、その痛みを凌駕し、
才能ある次世代のヒーラーたちのために道を切り開くという魔法をおこせる能力の持ち主でした。
彼が亡くなってから長い年月が過ぎ、その遺灰がアリゾナ砂漠の砂と同化していった後も、次世代のヒーラーたちが彼の名を忘れることはないでしょう。
その名はミルトン・H・エリクソン博士、史上最高の心理療法家の一人でした。3
老人は体が弱かったため、心理学、心理療法、催眠療法を学んでいた多くの若い学生や当時のベテラン心理療法家たちは、
砂漠に建つ老人の質素な家を訪れ、老人を表敬し、静かに座って彼から学びました。
彼に心を弄ばれながら...。
ある人はエリクソンをヒーラーと呼び、ある人は奇術師と呼び、ある人はシャーマンと呼びました。
そして世界中の何百万もの人々が、彼を現代における最も偉大な精神科医そして催眠療法家の一人であると考えています。
自らの行為を多くの記録に残し、大勢の患者と向き合った彼は、その知識と知恵を惜しみなく人々に分け与えました。
彼は、世界を大きく変えることになる優れた若き思想家や変革者、心理療法の天才達に多大な影響を与えたのです。
彼に影響を受けた人々の中には、この3人がいました。
・ジェフリー・K・ザイグ博士
ミルトン・エリクソン財団の創設者兼理事、心理療法とミルトン・エリクソンの業績に関する20冊以上の著書を執筆・編集してきました。
・スティーブン・ギリガン博士
トランスと心理療法に関する多くの著書を執筆し、トランスとエリクソン催眠療法における現代の天才と多くの人が認めています。
・ロバート・ディルツ
NLPの主要な開発者の一人であり、NLP、心理療法、サクセス・ファクター・モデリングに関する25冊以上の著書を執筆しています。
興味深いことに、彼ら3人は晩年のエリクソンに何度も会いに行っています。
トランス体験に満ちた数々の訪問が、彼らを今日のような優秀な人々に育て上げたのです。
本記事では、エリクソンの何が彼をセラピーの天才たらしめたのか、何が彼をあれほど特別な存在にしたのかについて、3人の考察と見解に焦点を当てています。
それでは1970年代半ばへと時間を巻き戻しましょう。ここはアリゾナ州フェニックスの灼熱の砂漠地帯です。
エリクソンのような偉大な師匠の元で学ぶ若い大学生にとって、それがどのような体験だったのかを想像してみてください。
色盲、不整脈、失読症で音感もなく、常に紫色の服を身にまとい、海の貝殻を紫色に染めて作られたループタイをいつも首から下げている師匠でした。
ミルトン・エリクソンとビギナーズマインドの力
「1970年代、エリクソン博士の元で学ぶためにアリゾナ州フェニックスに行く時はいつも、私たちには彼にたずねたい質問がたくさんありました」
エリクソンの元で学んでいた19歳の頃を思い出しながら、ロバート・ディルツは語りました。
「私や他の学生たちは、例えば彼にこんな質問をしました。
『特定の問題を抱える人に、この特定の手法を使うことで、具体的な結果は得られますか?』
すると、エリクソンは必ず『わかりません』と答えました。
さらに私たちは、彼に質問をします。
『このプロセスを使って、この問題に対処するのは効果的でしょうか?』
やはりエリクソンの答えは『わかりません』でした。
結局、私たちのノートには
『彼にはわからない... 彼にはわからない... 彼にはわからない...』
というメモが、何ページにもわたって書き留められることになったのです。」
ミルトン・エリクソンの問題解決に対するアプローチは、ビギナーズマインドを持っていることによって得られる力の典型的な例だとディルツは語りました。
彼は、答えをごまかそうとしていたわけではありません。先入観や事前の想定に基づいた言動を取らないだけなのです。
興味深いことに、エリクソンにとってはすべてのケースが特有であり、その相手は唯一無二の存在であり、相手との関係性も独自のものだったとディルツは述べています。
そのため、特定の症例結果の可能性についてたずねられると、エリクソンはいつも
「わかりません。私には、本当にわからないのだよ」と言うのです。
そして彼は付け加えます。
「でも、何が可能かを発見することに、私はとても興味があります」
「その『何も知らないステート』と好奇心の結びつきが、真にジェネラティブで変容的な変化の本質であり、
同時に、それこそがエリクソンをセラピーの天才にしたのだと信じています」
とディルツは説明しています。4
エリクソンの長年の生徒だったスティーブン・ギリガンによれば、
エリクソンには精神科医、父親、研究者、ジャーナル編集者、メンター、いたずら好き、自然愛好家など、さまざまな顔があったと言います。
鋭い知性を持ち、卓越したコミュニケーターであり、比類なきセラピストでもあったエリクソンは、
医大で教鞭を執り、学術誌を創刊・編集し、50年にわたって精神疾患の患者と精力的に向き合いました。
こうした理性的で世俗的な偉業と並び、ミルトン・エリクソンは偉大なヒーラーであったとギリガンは述べています。5
クライアントとのセラピーセッション中に、自身もトランス状態に出たり入ったりすることで有名だったエリクソンは、
患者の無意識を理解できるのは自分の無意識だけと信じていました。
後から知性や論理で相手の無意識を理解しようとしても、完全に理解しきれるものではないからです。
彼の最も優れた弟子の一人、ジェフリー・K・ザイグ(心理学者、著者、アリゾナ州ミルトン・H・エリクソン財団の理事、エリクソンのセラピー事業の後継者)が言うには、
最も鋭い知覚と知性を備えた人でも、エリクソンがやっていることの50%しか理解できなかったそうです。
口や舌、腕や脚に麻痺が残る障害者でありながら、エリクソンは、目的のないことを言ったり、やったりすることに1ミリもエネルギーを無駄にすることはなかったと言います。6
「実際、神経言語プログラミング(NLP)の原則とテクニックの最も大きな基盤をなしているのが、エリクソンのワークです」とディルツは述べています。
エリクソンが編み出したプロセスについては、すでに多くが文書化されていますが、彼の研究を再考察することで得られるものは、まだまだ多く残されています。7
ディルツによれば、エリクソンが用いた最も基本的で最も重要な手法が「ペーシングとリーディング」のプロセスだと言います。
エリクソンは、クライアントの貧弱な世界モデルに寄り添い、まずはその考え方をペーシングします。
そして、体験を整理するためのさらにリソースフルな方法へと、優雅にクライアントをリーディングすることに卓越していました。
この「ペーシング」と呼ばれる手法は、患者との深いラポールを築く強力な手段でもありました。8
ジェフリー・ザイグによれば、
「自身の心理療法分野への最大の貢献は何かとエリクソン本人にたずねたとしたら、
技術的には、自分は散りばめ技法と連合技法で貢献したと言うだろう...
つまり、社会的に通じる言い方をすれば、一つのことを話しながらも、心理的なレベルでは他のことを暗示するという技法である」
と述べています。9
しかし、こうした技術的な貢献のほかに、エリクソン特有の貢献として挙げられるのが「活用」だとザイグは述べています。
活用とは、反応準備性の原理のことです。
セラピストは、その状況の全体を織り成すすべてに対して建設的に反応する必要があります。
分析するのではなく、物事を活用するのです。
例えば、背が高い人なら背の高さを活用する、背が低いなら背の低さを活用するなどします。
ザイグが語ってくれたエリクソンとの逸話があります。
「ある時、エリクソンは私が持っていた彼の本にサインをしてくれたことがあります。
初めて彼に会いに行った頃、ちょうど私自身が反体制的な時代の終わりに差しかかっていました。
長い髪を真ん中で分け、後ろで三つ編みをしていました。
そして、2回目に彼に会いに行った時には、完全に服や髪のスタイルを変えていました。
今の私のスタイルに近いものになっていたのです。
ご覧の通り、私の髪は巻き毛です。
するとエリクソンは本に『ジェフ・ザイグへ、髪を巻かせるような(訳注:ゾクッとさせるようなという意味)一冊をあなたに』と書いてくれました。
エリクソンは何でも活用しました。
何でもいいので、彼に何かを与えたなら、彼はそれを見事に活用する方法を見つけ出してしまうのです」10
スティーブン・ギリガンによれば、エリクソンの最大の能力の一つは、同時に二つの「現実」を取り扱う能力だったと言います。
つまり、内側の世界と外側の世界です。
彼のインナーワーク(目がくらくらするほど連続する自然なトランス体験とともに)は、意識が持つ無限の可能性を示し、
アウターワーク(社会生活における、さまざまに異なる行動指示とともに)は、人をアイデンティティから変えるための多くの創造的な道を示しました。
この二つの世界を同時に捉えることができる彼の能力が、ヒーラーとしての彼の特別な能力だったとギリガンは付け加えました。
「しかし、その驚くべき技術的な腕前と人を完全に魅了する存在感とは別に、彼の癒しの能力の核心にあったのは、患者に対する愛と慈悲でした。
この特異な能力、つまり人の最も深い部分に入り込み、その人を優しく肯定する力が、彼の成功の根源であったと私は信じています」
とギリガンは言います。11
小児麻痺による重度の障害を抱え、その後遺症の影響で年を重ねるごとに筋力を奪われ、激しい痛みが引き起こされている状態だったにもかかわらず、
エリクソンは痛みを超越し、生きていることの喜びを周囲の空間に漂わせていました。
ザイグによると、エリクソンはまた、彼が今まで出会った中で最も正確なコミュニケーションを取る人だと説明しました。
つまり、すべての言葉、すべてのジェスチャーが厳選されたものであり、
その言葉が持つ意味も、そのジェスチャーが持つ意味も、すべてが考え抜かれていました。
彼はただ、本当に賢明に、人の心に届こうと努力したのです。
これもまた、彼を比類なき特別な存在にしていた理由の一つでしょう。
ミルトン・エリクソンの天才的な治療法については、ミルトン・エリクソン財団のウェブサイト(https://www.erickson-foundation.org)をご覧ください。
クリスティーン・ハルボムは、国際的に有名なNLPトレーナーであり、著者やプロのコーチでもあります。
彼女はNLP Coaching Instituteの共同創設者であり、同時に世界中の20を超える国々で、
受講生に対しライブ講義形式で行われるマネークリニック™プログラムの共同開発者でもあります。
彼女は、何千人もの人々が自分の人生で望んでいるものをより多く手に入れるための手助けをしてきました。
彼女はまた、『コーチング 1on1で成果を最大化する心理学』(GENIUS PUBLISHING、2021年)の共著者であり、
豊かさに対する意識、NLPコーチング、システム思考に関する記事を、さまざまな心理学ジャーナルや雑誌に数多く発表しています。
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NLPトレーナー クリス・ハルボム(Kris Hallbom)プロフィール
著者より許可をいただき掲載しています。
https://krishallbom.com/the-therapeutic-genius-of-milton-erickson-and-how-he-positively-influenced-the-fields-of-nlp-and-psychotherapy/
© 2024 Kristine Hallbom
参考文献
- ジェフリー・ザイグによれば、1970年代半ば頃の小さな特集記事で初めてエリクソンを「砂漠の魔法使い」と呼んだのはニューヨークタイムズだったそうです。
- ビデオドキュメンタリー『Wizard of the Desert』、監督:アレクサンダー・ヴェスリー(2014年)
- ジョン・E・ブラッドショー、CD『The Genius of Milton Erickson(ミルトン・エリクソンの天才性)』(2008年)
- ロバート・B・ディルツ、『Erickson and the Importance of Having a Beginners Mind(エリクソンとビギナーズマインドの重要性)』(2018年)
- ブラッドフォード・キーニーPhD、ベティ・アリス・エリクソンMS、『I Was Without a Face and It Touched Me: Milton Erickson As A Healer[Stephen Gilligan](顔を持たない私に触れたもの:ヒーラーとしてのミルトン・エリクソン)』(2006年)
- デヴィッド・フェアウェザー、『The Passing of Greatness: Milton H. Erickson(偉大さの終焉:ミルトン・H・エリクソン--砂漠の魔法使い)』(2015年)
- ロバート・B・ディルツ、『Strategies of Genius Milton H. Erickson(天才たちの戦略「ミルトン・エリクソン」)』(1999年)
- クリス・ハルボム、『インタビュー:ジェフリー・ザイグ』、(2019年4月)
- クリス・ハルボム、『インタビュー:ジェフリー・ザイグ』、(2019年4月)
- ブラッドフォード・キーニーPhD、ベティ・アリス・エリクソンMS、『I Was Without a Face and It Touched Me: Milton Erickson As A Healer[Stephen Gilligan](顔を持たない私に触れたもの:ヒーラーとしてのミルトン・エリクソン)』(2006年)
- クリス・ハルボム、『インタビュー:ジェフリー・ザイグ』、(2019年4月)