著:アンドリュー・T・オースティン
【夢の内容】
「私はボンド映画に出てくるような超優秀なスパイだ。
ヘリコプターが私たちを近未来的な黒いガラスの超高層ビルに降ろした。
ヘリコプターは着陸台で信じられないほどの爆音を立てている。
私はビルの縁に指先だけでぶら下がっている。
私の超優秀なパートナーが、私には、
ヘリコプターのように空を飛ぶことができる
スーパー・ヘリコプター・パワーがあるから、
地面まで安全に降りられる、指を離してもいいと言っている。
私は疑っている。
では、なぜ彼はそうしないのか?
下を見ると、そこにはテムズ川が流れている。
私はまるで怯えたスパイダーウーマンのように、
そろりそろりとビルを降り始める。
(恐怖だ。ああ!怖い。あのテムズ川!!!)」
今回の夢分析では、メタファーの分類と慣用句には触れません。
落下や落下しそうな恐怖を夢で見ることは非常に一般的であり、さまざまな形があります。
こうした種類の夢で最も短いのは、眠りに落ちる瞬間に、まるで氷の上で滑ったかのように感じる、足がピクピクと痙攣する現象です。
この現象は、完全に生物学的あるいは神経学的な説明をつけることができるのですが、その瞬間、短い夢のようなイメージを伴うことがよくあります。
私も、夜勤を終えて精神科病棟からバスで帰宅する途中、ウトウトと眠りかけた時にこの体験をしたことがあります。
私の周囲にいたのは、小学生の子供達と仕事に向かう憂鬱そうな社会人たちでした。
「落ちた」瞬間に、私はパニックに陥ったかのように自分の鞄をつかんで引き寄せ、隣に座っていた人を驚かせました。
その後の道中、周囲の人々に不審な目で見られ続けたので、翌日は別のバスに乗りました。
映画の世界では、人はパニックになると悲鳴を上げます。大きな悲鳴を何度も上げます。
しかし現実世界では、人は驚いたときに短い悲鳴しか上げません。
強い痛みを感じているときにはもっと叫びます。落ちるときには、さらにもっと叫びます。
この落下というのは、私たち人間に組み込まれている最も元型的な恐怖のひとつであるようです。
足の下には地面が、つまり地球があって、私たちを支えてくれていると期待するのは至極もっともなことで、
その支えが失われたとき、確実な死と同様の状態となります。
世界の終わり、あるいは少なくとも自分の終わりのようにも感じられるはずです。
他者から受けていた支えが突然、警告とともに奪われる体験を想像してみてください。
それを、心地よい感覚と呼ぶ人は少ないでしょう。
さらに、興味深い側面を加えることができる、複雑な体験もあります。
例えば、自分にとって必要でもないし望んでもいない支えをあてがわれ、さまざまな理由からそれを受け入れざるを得ないことがあります。
これは家族や親しい人間関係においてよく見られることであり、感情面で物事を非常に複雑にします。
その支えを受け入れることが正しいのだとしたら、人はその支えにある程度依存するようになります。
そして結局は、私たちを落胆させるのです。
これを直接体験したことがある人なら、私の言っていることがおわかりでしょう。
かなり強烈で、一見不合理な一連の感情的反応を私たちの内部に引き起こします。
殺意を抱くことも多いでしょう。私だけかもしれませんが...
とにかく、私が観察する限り、こうしたことをする人々は、おめでたいほど自分の行動に無自覚なままであり、
私たちがどのように反応しり、対処したりしても、変わらず同じことを続けます。
今回のこの夢で展開しているのは、こうした複雑な一連の体験です。
ヘリコプターは移動手段であるため、多かれ少なかれ、これは仕事の状況である可能性が高いですが、反例が多すぎて確信するには至りません。
私の見積もりでは、移動手段のメタファーがビジネスや仕事に関わっている可能性は約80%です。
ということで、この人は、近未来的な高層ビルの屋上にヘリコプターから下ろされる夢を見ています。
これは、高いステータスに関連する問題であり、この人は壮大な冒険のチャンスが与えられる刺激的な立場にいますが、同時に大きな個人的リスクも伴っています。
基本的に言えることは、彼女が与えられた支えは彼女を困難でリスキーな立場へと押し上げ、そこには、自分を落胆させる大きなリスクも存在しています。
これは、職場における友人関係でよく見られる政治的な動きであり、誰かが誰かを意図的に妨害しようとしているケースです。
失敗することがわかっている役割や、ポジションに人を追い込むというものです。
私自身、多くの人がこのような状況に直面しているのを直接見てきましたし、相談に来た人たちの中にも、同じような経験をしている人々もいます。
しかし、ほとんどの場合、そこには陰謀などがあるわけではなく、
単にその人を追い込んでいる人が、実は思っていたほど賢くなかったり、他人の能力に関する洞察力がなかったりするだけのことなのです。
あなたの能力を知っていると思い込んでいる人には、注意が必要です。
私の個人的な例ですが、人生をもっと面白くしなければいけないと思った私は、
ある週末、飛行機からのパラシュート降下を体験してみようと決めた馬鹿な時期がありました。
半日間、格納庫でパラシュート降下のイメージトレーニングをして、いざ、出発です。
全員が、よし、ジャンプするぞと意気込んでいました。
飛行機に乗り込む準備をしている最中、私はこうしたことに対する知識が全くなかったために強い恐怖を感じ、結局飛行機に乗るのを拒否しました。
「大丈夫だよ、君ならできる」と全員が言いました。
「いや、できない」と私は答えました。
彼らは私を安心させるような言葉や励ましの言葉を浴びせかけ、すべてがうまくいくと言いました。
私は断固として拒否し、飛行機から離れ、そのまま家に帰りました。
私は、文字通りであれ、比喩的であれ、社会的であれ、その他いかなる状況であれ、他者が私に良いと思う(または彼ら自身に良いと思う)という理由から、
何かを強制されるような状況に自分を置いてしまうことは希です。
その結果、私は無礼な人間だとよく見なされます。
ある時、人にこう言われました。
「君の問題は、人に指図されるのが嫌いということだ」。
ええ、まあ、当然のことです。
そのようなことを他人に対して確信を持って言い、何を言っているのかに気づいていない人のマインドセットについて考えてみてください。
とにかく、夢を見た本人はそうした状況にいます。
頼りにしていた支えがもはや利用できなくなり、ワクワク感が急激に変わり始めています。
そして、有能なパートナーが言っているスーパー・ヘリコプター・パワーは、果たして本当なのだろうかと疑い始めています(疑うのが正解です)。
彼女は指先でぶら下がりながら、自分が落胆しないように必死で頑張っています。
つまり彼女は今、自分の能力は知っている、しかし、有能なパートナーを信用すべきなのか、という複雑な難題に巻き込まれているのです。
このままでは、彼女は永遠にぶら下がっていなければなりません。
縁にぶら下がった絶体絶命の状態で...
もし彼女がパートナーを信用し、パートナーが正しい場合は、彼女は飛ぶことができます。
ハイフライヤー(優れた能力を持つ人)になれるかもしれません。
ただし、彼女がその確信を得るためには、地に足がついていない状態で、自分を支えることができるかどうかにかかっています。
ヒント:彼女は人間ですから、空を飛ぶことはできません。
彼女はレンガのように落下し、その中(つまりテムズ川)に身を落とし、再び流れに逆らおうともがくか、
あるいは地に足をつけた安定状態を確保できるまで流れに身を任せるしかありません。
単純な選択に絞られるということです。
今のまま、縁に指先だけでぶら下がっている絶体絶命の状態で頑張り続けるか、あるいは落下してその中に身を落とすのか、どちらかしかありません。
彼女が身を落とす「それ」とは、非常に不快な、身に覚えのある感覚(「恐怖だ。ああ!怖い。あのテムズ川!!!」)だということもすでにわかっているようです。
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NLPトレーナー アンドリュー・T・オースティン (Andrew T.Austin) プロフィール
著者より許可をいただき掲載しています。
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